9月3日、水俣・写真家の眼の理事が環境省を訪れ、環境大臣宛の要望書を渡しました。
要望書
環境大臣 伊藤信太郎 様
1956年5月1日に水俣病が発見されて以降、すでに68年の時が流れています。これまでに水俣湾と不知火海沿岸の多くの人々が命と健康を奪われ、今日もなお民事訴訟等の紛争が続いています。
過去を振り返れば、桑原史成は1960年から患者家族や排水口等を記録して、その後、塩田武史、宮本成美、アイリーン M .スミス、石川武志、北岡秀郎、小柴一良、芥川仁、田中史子が続き、現在もカメラを抱えシャッターを押し続けている者もいます。そこには病魔に苛まれながらも世界の人々に伝えるために、被写体となった人、極限の闘いを進めながらも、笑顔でカメラの前に立ってくれた人々が居ました。こうして私たちは、水俣と水俣病を記録した20万点に及ぶフィルムカットを残すことができました。
そして今、私たちが蓄積した写真資料を、長期に亘って保存活用することを目指しています。それは日本の国内だけではなく、世界中の人々にとって水俣病を歴史の事実として理解し、鮮明な記憶として継承され活用されるべきものだと確信しています。人々の幸せを創り出すための文明社会が、これまでに多くの過ちを犯していますが、私たちが保有する写真資料が、人類の過ちを検証するために役立つはずです。
政府、環境省として、水俣病関連ネガフィルム、デジタルデータ、プリント等の保存と活用のための仕組み創りを、共同して進めていただくことを強く要望します。
2024年9月3日
一般社団法人水俣・写真家の眼
代表理事 芥川 仁
理事 小柴一良
理事 桑原史成
理事 塩田弘美
理事 宮本成美
理事 アイリーン M .スミス
理事 石川武志
理事 田中史子
理事 吉永利夫
写真家遺族 北岡恭子
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